マインドフルネスは死の恐怖を和らげる?

マインドフルネス

瞑想合宿に参加したら、かえって死が怖くなった

以前、マインドフルネス瞑想のお手本とも言える、10日間のビパッサナー瞑想合宿で、「無言の行」を体験したことを書きました。瞑想の目的のひとつに、「生老病死」の苦しみから逃れるということがあります。

しかし、この瞑想と「無言の行」を通じて、私の場合は、かえって、「死」への恐怖心が強くなってしまったのです。

最初の2日間は、夜、9時半に、大部屋(16人か18人でした)の電気が一斉に消されると、息苦しさと、自由を奪われる恐怖というか、もうパニックになっていまい、一人、外に出て、敷地内を歩き回りまわって気を紛らわせたことを思い出します。

また、グループ瞑想する時に、瞑想道場で全員が集まるのですが、そこが夜は照明が暗く、昼間は窓のカーテンを閉めるので、薄暗いのです。また、100名近い参加者のために、一列5人があまり隙間なく並び、前列とのスペースもない、圧迫感すら感じる環境で、閉所恐怖症ぎみの私は、ここにいることが、ストレスでもあり、恐怖心もありました。

そして、それらの恐怖心が、死の恐怖に結びついてしまたんです。

外部情報が遮断されることが死を連想させたのか

結論から言うと、10日間、なんとか耐え忍んでいるうちに、最終日に近づくにつれて、そういう環境にもなれ、暗くて狭い瞑想道場での瞑想も、平気になってきました。

自分にとって、どうして、あんなに恐怖心、それも死に対する恐怖心が強く湧き上がったのか、考えてみました。

ひとつは、常日頃、自分自身が、いかに外部から情報を取り込んでいるかという気づきでした。

「無言の行」の合宿では、他の参加者と話したり、目を合わせたり、一切のコミュニケーションが禁止されるほかに、携帯電話、スマホ、インターネットとった外部との連絡手段は禁止で、初日の受付でそういうものは、施設に預けることになっていました。また、新聞もないし、読書もダメ、モノを書くこともダメ、もちろん、テレビ(ありませんが)も、ラジオも聞いてはいけないのです。

ですから、10時間、11時間瞑想する時は、もちろん何も情報は入れられませんし、休憩自由時間も、シャワー浴びたり、掃除、洗濯したりする以外は、散歩くらいしかすることがありません。

合宿の2週間くらい前から、インターネットもやれない、テレビもダメ、人と喋るのもダメという10日間を想像して、怖くなり、連日お酒を飲みながら、午前1時、2時に酔った勢いで寝るというのが習慣になったほどです(まだ、起こってもいないことなのにです)。

あまりに情報過多な日常生活

わたしの場合には、明らかに、自分自身に外部からの情報が取り込めないことが、死を連想させる状況だったんだと思います。

朝一番に、新聞を読まないと気が済まない。メールも一日中、頻繁にチェックするし、何より世間のニュースが気になります。テレビのニュースでも、ネットニュースでも、雑誌も週に10冊近くは、一部ではあっても気になる記事をチェックしていました。

もちろん、人との会話、コミュニケーションがこれに加わるわけで、この場合には、受け取るのは内容ばかりではなく、その時の表情や感情といった非言語的な情報も受け取るわけです。

それらを全部「情報」というのは、大雑把すぎるとは思いますが、「無言の行」では、ほとんどの「情報」が遮断されるわけですから、ある意味、自分が死んだ状況に近いわけです。

でも、現代人は、多かれ少なかれ、情報過多になっているのではないでしょうか?

少なくとも、ソーシャルメディアとスマートフォンの普及によって、即時性が増したコミュニケーションによって、頻度も増え、一日中、公私が混ざりあう形で、メールのやり取りが行われている場合もあるでしょう。

また、私のように、情報を集める、調べることのが好きな人たちは、インターネットで何時間でも情報を検索することになります。

合宿から終わった日の夜は、そのまま都内ホテルに泊まったのですが、その晩も、瞑想を1時間しました。部屋の電気を消して、相当暗くしましたが、恐怖心がなかったことが、少し驚きで、うれしかったことを覚えています。

ビジネスホテルに泊まると、どうしても間接照明で、暗いので、あまり居心地が良くなかったんです。

死ぬことの何が怖いか

暗いところが怖い=死の恐怖、ということなのでしょうか。

同じように、ホテルの居るときは、テレビをつけっぱなしにすることが多いのですが、これも見たいからではなくて、暗くて、狭い(シングルルーム)状況で、気を紛らわしたいという気持ちからでした。

何もしないで、ぼーっとすることが、恐怖になると聞いても、あまりピンとこないかもしれません。

でも、何もしてはいけない状況で、一日過ごす、あるいは、何日も、または、何ヶ月も過ごすというのは、自由を奪われるということで、刑務所の禁固刑を連想させますよね。

これは、相当恐怖です。

私が、瞑想合宿の2週間ほど前から、夜眠らなくなったのは、10日あまりも、テレビも新聞もなく、ネットも使えない、書くのも読むのもだめで、ひたすら瞑想する、あるいはぼーっとするということが、刑務所のようだと思ったからです。できれば、行きたくないと思ったのです。

でも、これは、自由を奪われる苦痛、恐怖であって、死の恐怖とは別だという人もいるでしょう。

喪失体験が、死の恐怖を呼び起こす

死の恐怖といえば、数年前に、網膜剥離で入院した時にも、4人部屋か、6人部屋に1週間ほど居ましたが、全身麻酔をほどこした手術の後は、マスクのようなものつけさせられており、相当の息苦しさで、死ぬときも、こんなに苦しいのかなと思いました。

その後も、眼球に入れたガスが抜けないように、四六時中、うつ伏せで寝ていなければならなっかた上に、ベッドの長さが短くてかなり窮屈だったりして、昼間はともかく、夜は、眠れず、時折、恐怖心におそわれました。

この体験と瞑想合宿の体験からして、私の場合、外界からの情報が遮断されることが、死の恐怖を呼び起こすようです。

暗い部屋が嫌なのは、暗いと見にくいので、情報が取りにくいということだと思います。また、テレビもラジオもついていない状況が不安を加速するのも、情報が入ってこないから。反対に、本を読んだり、インターネットを見たり、何かの書き物をしている時には、そういう不安はない、というか、気をそらしているのかもしれません。

マインドフルネスは、死の恐怖を和らげる?

合宿参加後に、死の恐怖が和らげられたことが確かなので、マインドフルネス瞑想がそういう効果があったと思います。しかも、一回参加すれば、その効果はある程度、継続するかもしれません。

合宿参加者は、合宿終了以後も、朝晩1時間、瞑想をすることが勧めらています。最初の半年間は何とか続けましたが、それ以後は、継続できず、実は、翌年、3泊4日の経験者向け合宿に参加しました。もう一度、習慣化しようと思ったのです。

それでも、また、戻ってしまって、毎朝毎晩1時間というのが難しいです。1日、5分、10分でも良いという気持ちでやってます。

それでも、死に対する恐怖が湧き上がる頻度とか、その大きさという面では、かなり安定しているので、マインドフルネスの効果は継続すると考えています。