セカンドキャリア/ライフ「学ぶ」〜大学院に入学してみた(3)

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宗教学と実践宗教学の違い

私が東北大で入学したのは、宗教学研究室というところでしたが、臨床宗教師(心のケアをする宗教者)の育成プログラムの開発、実施は、「実践宗教学寄附講座」という別の組織が行っていました。

実際、宗教学と臨床宗教師育成というのは、一見近そうで、かなりかけ離れた世界だと感じました。

宗教学というと、おそらく皆さんは、仏教、キリスト教、その他の宗教について研究する学問だと思われているでしょうが、そういった個別具体的は研究は、神学と言って、私立の宗派系大学、キリスト教系大学で行われているのもです。

東北大をはじめ、国公立大学では、宗教学は、宗教だけではなくて、人が信じる対象一般について、価値中立的に研究するもので、社会学、民俗学、文化人類学に近いイメージでした。仏教の原典をサンスクリット語、パーリ語で読むのは、インド哲学という別の研究室で、宗教学というのは、(特に、国公立大では)思想的なもの、哲学的なアプローチの研究は少ないように思いました。

一方で、「実践宗教学寄附講座」のほうは、何しろ、実際に死に向かっている末期の患者、子供や親、配偶者を亡くした遺族を相手に、寄り添い、支えるという重要な役割りを果たす宗教者兼カウンセラーを育成するのが目的ですから、まさに「実践的」な内容になります。

もちろん、グリーフケア、スピリチュアルケア、カウンセリング技法、緩和ケア医療についての知識を学ぶことが大切ですが、個人個人が現場で、経験を積みながら、人に寄り添って、回復のための、あるいは、死を受け入れるためのサポートができるように育成するのです。

このように、大学院生としては、宗教学の研究室で、ある意味抽象的な「宗教学」を学びながら、「実践宗教学」で、臨床宗教師の育成プログラム運営のお手伝いをしながら、多くの宗教者の方と交流し、被災地をまわるというバランスのとれた経験ができたました。

生まれて初めて「論文」を書く

修士論文では、臨床宗教師の育成プログラム運営を通じて、お知り合いになった宗教者の皆さん20人ほどに協力を戴いて、お一人、約2時間ずつのインタビューを基に、その宗教観、死生観、死後の世界を信じるか、宗教者になった動機、東日本大震災との関わりなどから、日本における臨床宗教師の広がりの可能性について書きました。

ほとんどの宗教者のみなさんが、神様なり仏様の存在を、死後の世界と同じく信じていることと、震災に際して、地元であるか否かによらず、宗教者として何かできることがないかと、すぐに行動されていることに感銘をうけました。

修士論文を年内(12月)に提出し、翌年の口頭試問も無事に終了して、2年間で修士を取得できましたが、結構大変でした。最初の1年は、授業を取らなければならないので、実際に論文のためにリサーチを始めるのは2年になる前の春休みから、提出はその年の12月ですから、実質的には1年ありません。担当して戴いた先生からは、「以前、宗教学に入学した、作家の内館牧子さんは、1年延長して、みっちり論文を書き上げたから、加藤さんも1年延ばしたら?」とよく脅され?ました。

それにしても、社会人の書くビジネス文書(提案書にせよ、報告書にせよ)と、アカデミックの世界の論文のプロトコルは、こんなに違うのかと本当に驚きました。大学の論文は、正確さがなにより要求されること、大きな飛躍、全く新しい知見よりも、小さくても、いままである論文に付け加えるような価値のあることを、論理的に書くということが重視されます。

たとえば、日本の地域で、八地方区分というのがあり、出身県の分類において、近畿地方と関西という言い方を混同したり、中部地方と北陸を併存させたりしたことを注意されて、アカデミックな論文では、そこまで厳密に書くのかと驚きました。先生も、論文に「間違い」を書いては絶対いけないと常々おしゃっていたので、「ウソからでたマコト」でプロジェクトや企画を通すビジネス提案書とは全く異なる世界だと思いましたが、学問する学者の方の倫理観としては素晴らしいとも思いました。

あとは、教授が引用する理論が、時に、古過ぎることにも衝撃を受けました。

たとえば、マーケティングの「イノベーター理論」(1962年、スタンフォード大のロジャーズ教授による)という消費者の商品購入モデルが出て来たときには、よくご存知だとなあと関心もしましたが、50年も前の理論が今、授業で言及されるとは!もちろん、マーケティング理論はあまり進化しないと米国ビジネススクールの教授も言っていまし、もちろん、この理論の妥当性は問題ありません。

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